象々の素敵な日記 古本屋の日記

象々の素敵な日記

何者でもないない教

この世の中で、何者かになれない、ということを思い悩むのは馬鹿馬鹿しいことであると思う。何者かになるのは自分が思うほど自発的なことではないし、何者でもないものにとどまりつづけルことは案外素晴らしいことではないかと……。

 

`せかい`とか`にほん`とか、そんなものがなんかワシらを教育してさも何者かであるように思い込ませ何者かであり続けるように要求する。死ぬまで。わしらは`せかい`とか`にほん`とかの要求に応える何者かであって、それ以外の何者かでは決してありません。しかしまてよわしは正直一度だって`せかい`とか`にほん`とかが要求するような何者かでありたいと思ったことはないそれがどんなりっぱなかんじのものであってもわしは`せかい`とか`にほん`とかの中で想像することの出来るどんな何者かにもなりたくはない。わしはすでに何者でもない何者かであり、そのようなありかたを割と真摯な生き方だと満足しているのでありますが、まあそれではあんまり親が悲しむに違いないからとりあえずは居酒屋が好きな古本屋のおっさんとして毎日こんなお経を唱えて暮らしております。

 

なにものでもないなにものでもない。ありがたいありがたい。

 

そうして、一日の肩の凝りが少し和らぐのです。

 

学ばないこと。自分を捜さないこと。……。

 

そのさきを知るためには少々お布施が必要です。

古本屋の日記 2015年2月27日