象々の素敵な日記 古本屋の日記

象々の素敵な日記

いそやんを思う。

昨夜久しぶりに山ちゃんと立ち飲み。

大阪古書月報第219号(昭和63年1月1日発行)の`いそやん`追悼号を読むようにと手渡される。

……。

朝早く目覚めて、二日酔いの老眼鏡、布団の中で丸まりながら、大阪の古本屋の、名だたる先輩方が寄せたいそやんへの追悼文を読み始める。

私はいそやんを知らない。けれども私はいそやんを親しく思う。本好きの酒飲みと、親しくならないはずはないと思う。死人とも親しくなれるのさ。行きつけの立ち飲みで、あるいはいそやんの古本談議に耳を傾けたことがあるかもしれない。そう思う。あったに違いない。

 

「磯本丈一翁は業界を中心に購書者の側からも、非常な親しみをこめて「いそやん」と呼ばれ、のちには自ら屋号の如くに「いそやん」と名乗った。大阪での即売会では「いそやん」が出品しているかどうかが大いなる関心事となり、初日開場時に駆けつけた愛書家連中は、まず「いそやん」の棚に殺到するのが常だった。そこには必ず滅多に見出せない珍書が、しかも廉価で必ず見出せたのである。そしてまず殆ど棚がカラになるほど飛ぶように売れた。しかるに磯本さんは全く表情も変えず、語りかけてくる客には恐縮した表情で、碌な本も無うてすんまへんなあと、謙遜して頭を下げるものだから、それを眺めているとまことに独特の風景が醸し出されたものである。」谷沢永一先生の追悼文 古書の権化より

 

昔の古書会館で、いつも本の整理や荷造りをし多くの古本屋に本の知識を惜しみなく分け与えたいそやんは組合の「ぬし」とも呼ばれていたようです。

優しいい古本屋の姿を思い浮かべ月報にもらい泣きしながら、改めて、古書会館には「ぬし」が必要であると小声で演説。

 

いそやんによりも多くパソコンで学ぶようになったことを寂しく思う。

 

 

 

古本屋の日記 2017年2月22日