象々の素敵な日記 古本屋の日記

象々の素敵な日記

神の百科事典は不揃いである。

少し前の市場で、随分と立派な装幀の、19世紀末頃のどこか外国の百科事典を買った。映画なんかで、ヨーロッパの金持ちの書斎にずらっと並んだ背革の、金文字の、ああいう立派なやつである。分厚い本が十何巻か、ぎゅっと縛った紐を厚生君にほどいてもらい中をパラパラと捲ってみる。銅版の図版というわけでもないし、ただの、古い百科事典ですね、という厚生君に、ただの百科事典にしてもこれほどの立派な装幀を施してある百科事典にはただならぬ値打ちがあるものだよと、解ったような解らんような講釈をたれて、はあそういうもんですかねえという厚生君に値打ちのあるとこを見せようとずばっと入札、夕方市場に結果を見に行くと下札で落札、なんだか売れないような気がしてきたが翌日厚生君に会うと落札した旨を報告あれほどの立派な装幀の百科事典が安値で落札できたので儲かったと云うとやたらと百科事典の事ばかり云いますねとい軽く返されたので少し嫌な気がした。それで、重たい百科事典はそのまま倉庫の肥やしになっていたのですが、秋の催事シーズンも終わりヨッ恋書、と、店へ持ち帰って改めて見てみるとなるほど分厚くてキンキラでなかなか立派であるなと満足しそうになったのだがひいふうみいよと巻数を数えてみるとどうも、何冊か足りない。また、あかんね。前も、洋書の、そう、ガルガンチョワの6冊揃いの立派な復刻版をよく見ないで入札したらやっぱり一冊欠けていてこれからは注意しなくてはと思っていたのに、こりゃ、売れへんで厚生君。やっぱり、一応は、揃ってなアカンと思うで。百科事典の話またぶり返して悪いけど……。

 

と、ガッカリしても、なんとか、元は取らなきゃいけない。ワシも、古本屋の端くれ、と、思案を巡らす。そこで、神の、登場である。おじいが何歳かは知りませんが、そうとうな高齢であることは間違いない。長いこと世界を眺めているので、忘れている事も多くなってくる。神のくせに、知らない、というか、忘れてしまって解らない事があることに、神だから、おじいは気づくであろうね。神のくせにわし知らんことある、と、まともな神なら心配になって、調べものをしようとするだろうね、世の中には、これもいつか神自身が作ったものには違いないだろうけど、なんでも載ってる、百科事典と云う便利なものがあるのだから、あれをひとつ買ってこようと、神が、谷町六丁目の開かずの古本屋を尋ねて来ることもあるだろう。がらがらっと、うちの店の扉を開いて、白髭の老人がやってくる。百科事典をご所望だ。はは。飛んで火にいる秋の神。「百科事典をくださいな」というんだからしょうがない。「へい、ここに、一揃い立派な奴がありますが」と答える。やっぱりここは、立派な装幀のものでないといけない。相手は神なんだから。厚生君、ここを、ワシは云いたかったわけです。「おいくらですかね?」と聞くから「三十万円」と答えるだろうねワシは。相手は神だから少々ふっかけても平気なわけです。金なんか、幾らでもあるんだから。それで、市場にあったときみたいにぎゅっと縛って、巻数なんて数えられなくしてしまえば一巻の終わり。パッと外から見ても解らないし、神だから、まさか古本屋風情にちょろまかされるとは思っていないだろうから、そこが、つけ目。さて、長生きしすぎの神は、良い買い物をしたと喜んでさっそく神ハウスで調べもの三昧。なるほど。なるほど。世界はかようなものであったかと欠けたままの百科事典に気づきもしないで、もう随分歳食っとるからね、ボケとらんけどボケとる、ボケとるけどボケとらん、欠けたままの知識で、なるほどなるほど、世界はこれでよし……。全きかな、全きかな……。

……。

となった場合、

神の百科事典の、欠けた巻に、ワシのことが書かれてたとしたら、どうしよ。

わしはおるかおらんか?

……。

でもその百科事典売ったんワシやし。

……。

ていうか、ワシなんぼ暇やねん。

古本屋の日記 2011年10月29日