象々の素敵な日記 古本屋の日記

象々の素敵な日記

こどもの詩

関連:

なにげなく手にとった1970年8月15日発行の「おやこ新聞」に掲載されていたこどもの詩。

 

私は 死んだ

だれも かまってはくれない

ただ 魚が

私のからだを 食べている

いたい!

そういうかんじを

もう一度 味わいた

もうすぐからだとわかれなければいけない

この世にいるのは もう おわかれだ

おれのからだが なくなる

はかの下ではない

さかなのはらの中

メコン川に波がたつとき

おれは さかなのはらの中

だんがんが

おれのはらをつらぬく

あかいものでつつまれて

おれは およぐ

力もないのにおよぐ

ゆっくりと

なにも わからない

ただ およぐ

。。

も一つ。

空が見える

青く見える

このまま うきあがって 生きたい

あの 美しかった川は

わたしをひきもどすなわになり

かわいいさかなは

わたしを くいあらす 怪魚となる

水が

さかなが

軍人が

ひきもどす

すぐそこに 空があるのに

行かせてもらえない

。。

とある小学校で「メコン川を流れる 死体の詩」として、6年生のこども達によって書かれたものの一部。

「前号に、カンボジアの戦争で殺された死体が、くさり、ただれて、メコン川を流れていくことをそうぞうして書いた、○○小学校のこどもの詩をのせました」

とあります。

 

どのような教育効果を狙ってこども達に死体の気持ちを書かせたのかはわかりませんが、想定されている場所とはまったく別の地点へとこども達を導いたのではないかと思えるくらい深い表現になっているような気がいたします。

 

すぐそこに 空があるのに

行かせてもらえない

 

という体験は、戦争の惨禍を知ること以上の体験に違いありません。

死体でなくても、おっさんはいつもそんな気持ちです。

 

 

 

 

古本屋の日記 2015年9月2日