象々の素敵な日記 古本屋の日記

象々の素敵な日記

丸虫花壇に山羊さんを訪ねる。

夜。家の近所で一人一杯やっていて、ふと時計を見ると、八時ちょっと前。今からチャリを飛ばして難波パークス近くの丸虫花壇まで行けば山羊さんに会えるなと思い、全速でペダルを漕いで夜の雑踏へ。思ったよりも花壇周辺に人が多く遠目にちょっと見ただけでは誰が誰だかわからず一瞬無駄足であったかと思いましたが、近づいてよく見てみると、いましたいました。ブログのとおり、牛の舌のスモークをつまみながらロング缶を飲んでいる山羊さんの姿。仕事終わりでお寛ぎのところ申し訳ありませんが、厚かましくも横に座ってしばらく夏の難波の雑踏を眺めながらおしゃべり。それから近くのタイ料理屋で一杯二杯三杯。ブログを休止されているのが気になって訪ねたのですが、結局そのことについてはあまり突っ込んだ話をすることもなく、なんだかすっかりご馳走になってしまってかえって申し訳なかったような気がいたします。ほんとうに、ごちそうさまでした。要するに、山羊さんのブログを毎日読んでいるおっさんもいることですし、たまに、少しでも、電脳のこの世に痕跡を残して頂ければと思います。

 

今日の歌。

大衆の泉に涵るということは、誰にも許されている能力ではない。群衆を楽しむことは、一つの芸術である、嘗て、その揺籃の中に於いて、妖精が、仮装と仮面への興味、定住への嫌悪、旅への情熱を吹きこんだ者のみが、ひとり擅まに、汎ねく人類を介して、生活力を楽しむことが出来るのである。

……。

詩人は、思うがままに彼自らであり、また他人であることを得る、比類なき特権を教授する。彼は欲する時に、肉体を求めてさ迷う魂の如く、人の何人たるを問わず、その人格に潜入する。ただ彼一人のために、人はみな空席に外ならない。そしてまた、ある席が彼にまで塞がれて見えるならば、それは彼が、それを眺めて、既に訪れる努力にも価しないものとしたのに因る。

孤独にして思索する散策者は、この比類なき陶酔を味わうのである。

ボードレール パリの憂鬱より 群衆 三好達治訳

古本屋の日記 2014年8月23日