象々の素敵な日記 古本屋の日記

象々の素敵な日記

マザコンの記

母が、こちらに向かってやってくる、光の、景、乱反射、様々な場面の中で、母は、いつでも私の方へと向かってくる。18歳の久美ちゃんも、70歳の久美ちゃんも、40歳の久美ちゃんも。

ーー傍示川沿いの土手道で、小学2年のわたしが母を待っている。兄のおやつ、食パンに、昨日の残りのカレーをつけて食べるおやつを(敏夫くんがそれをどれほど楽しみにしていたことか)、先に帰ったわたしが全部食べてしまって、激しい怒りに追い立てられ逃げ出して、一人では家へ入ることが出来ないのだ。ーー母は、買い物帰りに必ずこの土手道を通る。ずうっと向こうを見つめ続けるこどもの視線の先に、もうすぐ、母が姿を現すだろう。小さなわたしは、そのことを、何の疑いもなく確信している。たぶん、白い日傘をさしているだろう。それは眩しく反射しながら揺れるのだ。遠くからでも、それを見逃すはずはない。母が、傍示川沿いの、光にあふれた土手道に姿を現す、わたしの中で、繰り返し反復されるイメージ、その瞬間が、わたしには何かとても重大な出来事に思えてならないのです。その光景を、何かに刻み込むことは出来ないか?映像ではなく、研ぎすまされた言葉で、物語ではなく光そのものとして、この白い紙に刻みつけることはできないか?そう、長いあいだ考え続けているのですが、力のないわたしは母の前で、いつまでもいつまでも書きあぐねているのです。

古本屋の日記 2011年6月25日